リトグラフの魅力

リトグラフ版画の魅力

 リトグラフ版画はその制作において制約が多く、工程を誤るとそれまでの描画の努力が水泡に化すという悲劇がよくあります。たとえばペインティングでは一枚の絵を仕上げるにはキャンバスに描く絵の具を変えればすみますが、リトグラフの場合は色ごとに新たに版が必要になり、さらに描いたものを印刷時に壊れないようにプロテクト強化する製版を行わなくてはなりません。しかもその製版時にもムラや消失などのリスクが待ち構えていたりするのです。日数をかけて描いたものが、わずか数秒でホワイトアウト、またはブラックアウトする様子はちょっとした悲劇のようなもので、その衝撃にしばらく茫然とします。しかし、それも結局は工程のどこかに誤りがあったのです。版面が古くなり酸化膜が出来てしまっていて、新たに油の反応を起こす場所がなかったとか、描画時に手の脂がついてしまったとか、お笑い番組を見ながら描いたので笑った時に飛んだ唾で点々と黒いしみが生じたとか、よく確かめもしないで新しい画材で描いてみて全く反応しなかった、などなど。要するに自業自得なのです。アルミ板の上で行われているのは分子間での宇宙の法則に則った清く正しい取引であり、ブラックホール近辺や粒子加速器の傍はどうか知りませんが、大体において殆ど特異な現象は見られないと思われます。
 このしち面倒くさい技法の当初の利点はいくらでも複製が出来るという事でした。初めの頃は楽譜の印刷に威力を発揮したといいます。その後、木版画や銅版画では難しかった水彩的流動的な描写も再現出来うるような所技法が確立され、作家の絵画作品を複製可能にし、庶民にも手が届くほど価格まで下落せしめた、実に民主的な版画技法になりました。その後、オフセット印刷機の登場により、人力から機械化へという大きな流れへ歴史は動いていき、リトグラフは最適な複製版画とは言えないものとなります。しかしここで更なる価値の転換が行われます。機械複製により超民主的(低コスト)な地位を得たリトグラフ(オフセット)に手作業による、より職人的で美しい作品への希求が高まってくるのです。人力故から起る、揺らぎやエラー、そして人の微妙微細な感覚による版表現の魅力を人々は発見するに至るのです。日常にあふれるオフセット印刷物の4色分解の網点から目を移し、リトグラフのそのキメのこまやかさと色の鮮やかさを見るにつけ、利便を超えた手間の美に我々は瞠目し、露を受けた花のように厳かに啓蒙されたのです。

 リトグラフは石版からジンク版をへて現在はアルミ板がスタンダートになっています。他にも木版リトやオオフセット資材を用いたリトやシリコンを用いた水を使わないリトグラフもあります。生物と同じく生存のために分化派生しているのです。どれが後に適者生存するかはわかりませんが、私が思うに版画における必須の存在意義は、サイエンスとアニミズムであると考えます。刷ってみるまで、どうなるかよくわからないという領域(聖域)がある事が版画の面白さです。リトグラフは凹凸版と比べて、反表面の化学変化で画面を作りだしていることを考えれば、その感知できない物理現象に意識と想像を伸ばし、予想予測して絵を作っていくのは、なかなかの知的作業と言えるのです。
 宇宙は現在も成長を続けているとの事です。宇宙の最先端は130億光年向こうにあるわけではないでしょう、素粒子が時間と空間から自由でいられるなら、いまこの自分の体表、いや脳核の精神の波紋のすぐ隣に宇宙はあると思ってもいいかもしれません。宇宙にとっては粗雑なプロトコルかもしれないがリトグラフ版画を介して宇宙が、ただ一つ持ち合わせていない不合理な美を提供する事が次世代の宇宙の建造への試みの一端となるのでしょう。

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